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父の経過

父が肺炎で入院して4ヶ月近くたちました。医療の事はまったくわからず、主治医を信頼しお任せしてきました。一度家族が呼ばれたこともあり、泣きながら病院に向かいましたが、大事に至らずにすみました。今は人工呼吸器(喉に穴を開けてそこで呼吸している)を装着状態です。口からの食事は一切できず(肺に流れてしまう)、手からの点滴では充分栄養がまかなえず、鎖骨付近の大動脈点滴になって3ヶ月。

公共の病院であった為に、9月末に主治医が移動になってしまった。と同時に、慢性期に入ったので転院してくださいと言われてしまい、エッ?点滴をしたまま?人工呼吸のまま?と訴えたのですが、決まりで3ヶ月が周期なんです。と・・紹介された病院は、病院と名が付くだけで、治療が出来ない病院、療養型病院、今入院している病院は急性期型病院(治療型病院)なんだそうです。そんな分け方があったことも知らず、受け入れてくれる病院に母と面接に行きました。

院長先生との面談で、ここはある程度の治療はできますが、また肺炎を起こした場合、療養型病院では抗生物質の投薬に限度があり(高額な抗生物質は使えない)治療はできない。様態が急変したら?救急車で搬送の手配はします。ただ今の病院が受け入れてくれるか?は約束はできない。そんな内容の文書で承諾書のような書類を渡されました。面接の前に病棟を見学していたら、看護士さん?と思われる人が1,2名?後はヘルパーさんがお年寄りの面倒をみていました。父の状態だとこの療養型病院では重症患者に属する為、ナースステーションの傍の病室になるからと説明を受け、でも看護士さんが少ない(自己判断)のに大丈夫なの?と益々不安材料が・・ようするに、受け入れはするけど、万が一の事があっても治療できないから責任は持たないよ。それに承諾したら署名捺印してくれれば入院していいよ、ってことなんです。そんな承諾書、書けるわけがないですよね。

その後少ない療養型&治療型病院を探し、そこにお願いしようか?と思っていた矢先、父がまた熱が出てしまい、新しい主治医から挨拶と経過報告があり、「熱が出ているのに、転院なんてとんでもない!」との言葉、母と私はハッーー良かった~と同時に声が出てしまいました。

その後熱は下がり安定したかと思っていたのに、先々週高熱がまたも出てしまい肺炎。口から食べ物はもちろん、唾液さえも肺に入ってしまうと肺炎になってしまう。今回の熱も、原因は唾液が流れ込んだ確立が高いとのことでした。抗生物質の投薬が始まりました。そして家族が呼ばれ先生から、今の状態・今後の治療方針等の説明を受けました。前の主治医は最悪の場合の説明ばかりだったのに、新しい先生は明るい方向へ向かっての治療方法を説明してくれました。家族にとっては希望がもてるし喜ばしい内容でした。そして熱が下がった数日後、点滴以上の栄養が確保できる胃瘻(いろう)の手術をしました。30分程度の手術も無事に済み、チューブが胃に入っていて、ここから栄養を流し込むんだそうです。http://www.cmi.co.jp/mainContents/j02/contents/MIC/Mic1.htm

0710161_2  0710162れで栄養が摂取でき、体力がつけばリハビリ、呼吸器も声が出せる呼吸器に交換できるそうです。「うちにかえりたい」と口の形でわかった時は、母は泣いてしまったそうです。胃瘻をつけたまま自宅にも戻ることもできる・・それにこの胃瘻も永久ではないとのこと、それはいつになるかわかりませんが希望が持てるようになりました。

今看護学校の生徒さんが毎日父を看てくれています。私達以上に何を言ってるか?が口の形でわかるそうです。目がキラキラしていていつもにこにこ笑って、上の絵も話せない父のために作ってきてくれました。私達には思いつかないアイデアで、将来は立派な看護士さんになっていることでしょう。そしてキラキラした目、私達にはキラキラなんてもうどこにもないし・・いつから濁ってしまったんでしょうね?(^ ^;Δ

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コメント

mimiさん、こんばんは

家も、親父が治療型病院から、介護型施設??

みたいな所に、なんとか、入所して、長姉が

面倒見てくれました。あの頃は、大変だったと

思います(感謝しています)

親孝行、大変ですけど、したい時にはいませんから

大変な時期でしょうが、悔いの残らないように、

して下さいね・・・。

小見川に受け入れてくれる病院があります。

おばが10年以上植物状態で、一時小見川に行きました。

今は八街に居ます。

こんばんは。
大変でしょうが頑張ってください。
お父さんの為と自分自身が納得できる為に。
僕の母親は白血病でした。まだドナーなどという言葉さえない時代に、7年間の闘病の末遠いところに旅だってしまいました。
いつも希望を持って、「病は気から」です。
周りが暗くなっていたら治るものも治らなくなってしまいます。
笑顔でいきましょう。

kakiさん、いつもありがとう
介護って大変ですよね
母も毎日病院に通っています
最初は個室がいいなんて言っていたのに
個室を開けなくてはならず、4人部屋になったのですが
今では母と同世代の付き添ってる奥様方と
励まし合っているようです
母の為にも順調に回復してほしいです!

矢竹さん、こんばんは
小見川では本多病院かな?
実はここに?と思っていたんです
でも今の病院で退院できるまで看てもらえるようになり
本当にホッとしました。ありがとうございましたm(_ _)m

鉄幹さん、こんばんは
お母様、大変でしたね
闘病生活は本人が一番苦しい、でも家族も一緒ですよね
でも今回、明るい兆しが見えてきたので笑顔が出ています
早く家に帰れる日を夢見ています(o^―^o)ニコッ

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